本質を求めて 何気ないつぶやき

以下、知り合いの人のふとしたつぶやき

紹介します

暇つぶしにも、

 

少し、宗教の意味の有無、また、チベットウイグル人と人権平和についても触れている。

ウイグルチベット人について調査しようと思う。


そもそも現在の日本社会でも大まかに歴史を見ても差別を騒いでるのは特定のというかあとマスぐらいじゃないですか、なので内容自体もそもそも偏見的印象論な感じがしますし、たとえあるとしても諸外国と比べものぬらないともかんじます、差別関連で面白いのは、川崎とかでヘイト条例があったかと思いますけど、その内容は本邦外出身者つまり外国人に対する卑猥や侮辱や差別言動は違反であるだったかと、そこには、本邦出身者に対する適用の規定は無かったかと思いますけどありましたかね、面白いのはだいたい加害者でなく被害者とするならばそこで形式的にも心情的にも何らかの立場があるという風に思いやすいですし、大きな事について言えば所々でウイグル人や協会も公表している、客観的な根拠がや客観的な判断が重要です。各主体者がフェアに協調(インターナショナル)していくならば、その意味でのオープンマインドは議論出発の必須条件でしょうな、まぁ身近な日常的な差別を簡単に語れないのは人権(共通認識下の均等な意思決定権)の内に表現する自由で平等な権利もあるからだとも思いますけど、それら踏まえたとして、対立者らの意向や解釈を万人(人類あるいはある地域の居住人らが)がわかりやすい手段(共通言語)で、万人の視点で(客観的に)伝えることや理解することが、できるかのコミュニケーション識字率が前提として重要でしょうな、さらに言えばそのコミュニーケーションを踏まえて、対立者らが各フラットに主張や根拠を出せるか、なども重要でしょうし、そこでの根拠については、のるたけ万人に通用しうる根拠を出すために、様々な世に溢れるまた常識的な科学的な方法が有効であることは言うまでもないでしょうそれは何千年前から年を経つごとに今にいたるまで、今に生きるような人と過去の人類が共通の普遍的な認識(生きる為、豊かな生活(便利や幸福))があると仮定しても、または、仮定なしで今に生きる人が生きる為、豊かな生きる活動を得たい・満足したいと思う人が人間の普遍的な意義や目的だともするならば、本当にざっくりですが技術・言語・広義での地域性・その他医療工学心理学社会学数学など学術的英知とその応用などが、今に至り発展したのも科学的手段のような思考があるからでもありそう思ったりするしだいです。生活の発展については人間の経験的な直感的な要素もあると思うのですが、それらを万人に通用するように咀嚼してきた、しようとするのもまた科学的な方法でもあると思ったりするしだいです。宗教は人の経験や感性からの創造でもあり、そこで生まれたものでその中で人間にとって実用性があるものについては、それを万人に適用・共有できるようにしているのが科学的ということからの創造であると思う。宗教的であると該当する教えや概念についての他の存在意義は、霊魂の世界からのつながりから成り立っているのかもしれない。霊や魂という存在があり得る、また、霊や魂という存在と現世で繋がることができる可能性があるという前提があることになるが、霊魂の存在が関わっていることが言えるのではないかとも思うしだいです。引き続き調査から考察まで述べて行きます。